イベント報告

JASSで行われたイベント活動を参加者・運営委員の方にリポートしていただきました。
楽しく充実したイベントの様子をご覧下さい。
2014年11月12日掲載 イベント実施報告一覧へ戻る

1549 日本近代化の元祖:角倉一族

2014年10月30日(火)開催。  参加者18名+16名(同日2回開催)。


角倉了以が保津川や高瀬川を開削して、当時の物流の変革を成し遂げたことは有名です。角倉了以が高瀬川を開削して今年は400年の記念の年に当たります。

近畿圏の河川を結び(例えば、由良川と保津川を繋ぐ)保津川開削の2前年に壮大な計画を練り上げ着手。瀬田川を利用した初の琵琶湖疏水計画も了以がなくなり頓挫しました。琵琶湖疏水の開発は明治まで待つことになります。

その開削を1600年頃に行い、1600年頃と言えば、足利幕府が倒れ、織田信長や豊臣秀吉や德川家康等が天下取りに奔走していた時代に、金融業や朱印貿易で財をなした角倉了以がダイナマイトやブルドーザの重機や自動車等がない時代に巨岩を砕き、畑違いの物流事業で成功を収め、京都の経済の活性化に貢献しました。しかもその精神が素晴らしい。共生、挑戦、慈悲の精神を17代目宗家の吾郎氏が解説。

それを引き継いだ素庵も、光悦や俵屋宗達とも親交があり、嵯峨野文化人とも交流して嵯峨本を発刊。芸術の世界でそのルーツを探っていくと角倉一族に行きつく程です。

俵屋宗達の有名な風神雷神図の雷神は、実は素庵を描いたものだそうです。
江戸時代に「日本」が世界に関たる算術国家だったのは「そろばん」と「塵劫記」のおかげだと云われる位有名な算数の教科書は1627年に角倉一族の吉田光由氏が執筆したものです。当時世界最高のレベルを誇った庶民の算数の力(和算)に貢献した教科書です。

更に、「角倉隧道」です。このトンネルは菖蒲谷池(嵐山・高雄パークウェイ脇)から大沢の池付近の嵯峨野に水をひくためのトンネルです。このトンネルは角倉了以から2代後の一族の吉田光由氏(1598-1672)が計画・実行したと伝えられていますが隧道の名前は一族の名前「角倉」になっています。

明治になって琵琶湖疏水を計画した北垣知事が大反対に逢った時、田辺朔郎氏とこの地に来て工事着工の決意をしたと云われ、完成した1890年に知事の文字で「菖蒲谷池碑」が建立されたそうです。

江戸時代の初期に完成した「角倉隧道」が明治初期の「琵琶湖疏水」のお手本だったとは驚きですし、「角倉一族」の地域貢献度はすごいものがありますね

こうした、詳しい部分に触れた講演は、驚きの中で受け止めて戴き、参加者から知らなかった、良かったとのお褒めの言葉がありました。


講演を熱心に聞き入る参加者
   
壮大な戦略的企画で近畿圏に運河網を構築することを考えていた角倉了以。
   
4つの事業。現在の政治、金融、商社、ゼネコン
   



朱印船貿易で財をなした了以。船には外国人、船頭等色々な人々が乗船。
朱印貿易の角倉船の乗船者に遵守させた規約“船中規約”は角倉の精神を表現しており、角倉船の内部がよく分かります。
清水寺販売の絵葉書に朱印船を含む絵葉書 315円で販売中を参考にして下さい 

 
「日本」が世界に関たる算術国家だったのは
「そろばん」と「塵劫記」のおかげだと云われる位有名な算数の教科書

  


豊臣秀吉が大阪城天守閣より高い大仏殿を京都の方広寺に建立。豊国神社など角倉が材木を調達した。
大仏殿が建立されたとの記事あり
 
   (運営委員 川崎 泰弘 記す)                             イベント実施報告一覧へ戻る