開催日:2018年10月15日(月) 参加者 22名 (企画・水野美代子運営委員)
日本三大奇襲として知られる桶狭間の合戦の地を訪問して史跡を見学するとともに、なぜ10倍もの今川義元軍を相手に織田信長が一方的な勝利を得たのか、その謎を解き明かしてもらいました。
江戸時代初期から桶狭間の合戦の場として語り継がれ、記録されてきたのは名鉄中京競馬場前駅(昔は「をけはざま駅」)のすぐそばで、土日祭日には豊明桶狭間ガイドボランティアの皆さんが詰め所で待機しておられます。本日は平日ですが太田先生自らが特別に現地案内と解説をしてくださいました。
古戦場伝説地にはいくつかの古い石碑が残されており、その隣にある病院の建設地となった池からはおびただしい甲冑類が出てきたと記録されています。その隣のお寺にはそれ以外にも農家から届けられた武具も保管されていましたが、いまは公開されておらず見学はできませんでした。(公開当時の写真を見せていただきました)
伝説地見学の後は食事を挟んで講演をしていただきました。江戸時代初期からの諸文献を広く、深く研究しておられる太田先生からこれらの資料の記載事項や図面を見せていただき、うつけと言われていたはずの織田信長の周到な合戦計画に基づく奇襲の様子が先生の熱弁と映像とでよく理解できました。はるばる静岡県の三島からご参加いただいた会員もある中で熱心な会員の質問がお開きの後も続き、充実した講演となりました。
織田信長の本隊が奇襲をかけるのに先立ち、織田信長の先鋒隊(佐々隊、千秋隊)が丘陵地帯を細長く伸びて進軍していた今川隊の先端部に前哨戦を仕掛けて壊滅したところは名古屋市緑区で、ここも古戦場公園として整備されています。本日の見学地から約1km離れたところですが、見るべき史跡も記録もないので今回は訪問はしませんでした。ただ、この前哨戦における織田方の戦略的惨敗がその後の織田本隊による奇襲の大成功に大きな影響を与えていることを学びました。
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