前回、大変好評だったシリーズ①「徳川幕府崩壊の真相とは?」に続いては学校の(日本史・江戸時代)と較べて面白い瓜生先生のゼミナール②です。
会員間で口コミがあるみたいで、今回仙台からの会員が参加しました。
ゼミの主題は、
1、家康が江戸を選んだ訳。候補地は小田原・鎌倉・江戸
2、家康は城よりも街づくりを優先した。不毛の地を人が住めるように道三堀の開削
小名木川・小石川や神田上水の開削 利根川東遍事業
3、百万都市になった最大の理由。 玉川上水の開削 利根川東遍と荒川西遍事業
<講演の中でのうんちく・余談>抜粋の一部
教科書に、あまり登場してこない埼玉の「伊奈忠次・忠治親子」による利根川の治水工事でもたらせた肥沃な関東平野が出来た事や、保科正之の英断で玉川上水の開削が始まり、自己資金を使って完成させた庄右衛門・清右衛門兄弟は玉川姓を貰い武士となった。井の頭の名前は井戸の頭。淵と堀の違い。淵は雨水が溜まった。
堀は人工的に作った。神田川は人工の川。鎌倉橋の地名は鎌倉の商人がいたから。
日比谷公園の地盤は軟弱なので高層ビルは立たない。東京の上水道の根幹は江戸時代に完成した。鐘撞料(時刻を知らせる)同様、水上修復料銀(水道使用代)があった。
明治政府は、徳川幕府の事業に関して国民に知らせなかったので情報が少なく、鎖国政策により、欧米から遅れをとった為の理由で文明開化の正当性を訴えた。
次回の面白歴史ゼミナール③は、
イベントN0306 12/7(金)「大奥と将軍をめぐる事件簿」です。
また、春号からは瓜生先生と往く 品川神社 増上寺 護国寺方面などの
特別観覧・面白歴史散策シリーズが始まります。お楽しみに!
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