開催日:2019年6月 4日(火) 参加者 17名
「日本の古墳は権力の象徴ではなく、開墾の残土の盛り土であった」という説があります。
仁徳天皇時代は鉄器が普及し近畿は水田の耕地面積が飛躍的に増加した時代です。どの古墳も周りが畑の平地にありました。
税を免除し「高き屋にのぼりて見れば煙立つ 民のかまどは賑わいにけり」と喜ばれた天皇が自分の墓を作るためだけに民に苦役を強いるわけないという根拠です。
説得力があります。
堺は仁徳天皇時代から鉄器の多量製造の技術と伝統があり、鉄砲伝来の時にいとも短期間に国産鉄砲を量産しました。
秀吉時代には世界の鉄砲の半数以上が日本にあったそうです。
その堺の歴史散歩を企画しました。
(文・撮影と企画 運営委員 大隈哲夫)
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