日時:令和2年7月4日(火)
場所:東京鶴川武相荘
梅雨明けの初日の猛暑。集合場所・小田急鶴川駅。
出発前に東急ストアで水を購入し、熱中症対策に水分を補給する。
目的地旧白洲邸の武相荘迄15分間歩きました。
本当に暑く、今年一番の猛暑であった。
武相荘の都合でロナ対策に我々一行の席はすでに用意されており
早めの昼食を行うことになりました。。ワインで乾杯で舌を滑らかにして
自己紹介や世間話に花が咲きました。1時間を超える食事はあっという間に終了し、
その後、武相荘の見学をそれぞれ行い流れ解散とした。
白洲一家の最後の生活ままの状態で保存されており、特に次郎の書斎が興味を引く。
白洲次郎は第二次世界大戦の時、すでに日本の敗戦を見抜き昭和十八年(1943)鶴川に移住、農業に従事。
戦後、吉田茂首相に請けわれGHQとの折衝にあたる。
また、日本憲法に深く携わり。サンフランシスコ講和条約に吉田茂首相のもとに随身した。
神戸一中の同級生今日出海は彼のことを「野人」と評している。
当時のGHQ側の印象は「従順ならざる唯一の日本人」であったというエピソードがある。
写真をご覧下さい。