イベント報告

JASSで行われたイベント活動を参加者・運営委員の方にリポートしていただきました。
楽しく充実したイベントの様子をご覧下さい。
2022年 1月 26日掲載 イベント実施報告一覧へ戻る

3582 旧東海道品川宿界隈史跡巡りと天婦羅うえじま

 
 日時:令和4年1月14日(金)10時より
 場所:旧東海道品川宿界隈

 旧東海道品川宿は東京の最も先進的な界隈にありながら昔と変わらない厚い人情と下町の情緒が色濃
 く残る街です。訪れたところは下記の通りです。

 〇品川神社
  文治3年(1187)源頼朝が海上交通安全と祈願成就の守護神として安房国の須崎明神である
  天比理乃女命(あめのひりのめのみこと)の来臨請うたものと言われている。寛永14年
  (1637)第三代将軍徳川家光が東海寺を建立する際、同寺が寺の鬼門にあたることから東海寺
  の鎮守となったという。また明治になって品川神社となった。境内裏には元自由民主党の板垣
  退助ご夫妻のお墓がる。

 〇東海寺(沢庵和尚の寺)
  江戸時代初期、寛永15年(1683)第三代将軍徳川家光が名僧沢庵のために建てた寺である。
  江戸時代きっての名刹で15700m余りの広大な社寺を有していた。沢庵漬け=たくわんが考案
  された地である。
  「たくわん」は家光の命名との説がある。

 〇沢庵和尚の墓
  江戸時代初期の禅僧。名は宗彭,沢庵は号。但馬国(兵庫県)に生まれた。
  幼少のころに出家して禅を学ぶ。各地修行して信望を集め慶長14年(1609)大徳寺の住持と
  なった。寛永6年幕府のお触れに触れることがあって出羽国上山(山形県)に追放された。
  4年後に許されて、その後は第三代将軍徳川家光に重用され寛永10年(1633)に江戸品川
  東海寺禅寺の開山と迎えあられ、晩年まで送った。
  正保二年(1645)12月没。73歳、書画、俳句、茶道に造詣は深かった。

 〇旧品川本陣跡(聖蹟公園)
  江戸時代の本陣は宿場で大名や旗本、公家などが休息や宿泊するところで品川宿には初めは
  南北品川宿の一軒づつあった。江戸中期になると北品川宿だけとなりました。
  大名などが宿泊すると本陣には大名の名を記した門札を立てて紋の入った幕をめぐらしました。
  明治天皇の宿舎(行在所)にもなったところでもあります。
  明治3年(1870)に宿駅制度が廃止になるまで存続されていた。昭和13年に聖蹟公園となって
  現在まで続いています。

 〇一心寺  
  安政二年(1854)日本帰国の機運が高まり国運の境目に、大老職である井伊直弼が江戸台場
  の沿革、東海道第一の品川宿にて鎮設日本、開国条約、宿場町民の繁栄、安泰の願えとの霊験
  を悟り開山地、時の町民代表一同により建立されたとつたえられています。
  昭和の代になり中興の祖というべき僧征弘道和尚が登盛山延命院一心寺という寺格を拝受し、
  成田山分身の不動明王を本尊として、延命、商売の守りとして今日まで続いています。

 〇養願寺(虚空蔵尊)
  明鏡山善光院養願寺は、正安元年(1299)創建の天台宗。虚空菩薩を本尊とし、4月、11月の
  第二・土、日を大祭時にご開帳されます。
  虚空蔵養願寺は、丑年、寅年の守り本尊。13歳でお参りすると福徳知恵が授かると伝えられて
  います。

 〇利田神社(クジラを祭っている))
  1798年(寛政10)5月 品川天王洲沖の浅瀬に乗り上げて動けない大鯨を漁師らが捕まえました。

  このことが瓦版に出版され江戸中が大騒ぎになり見物人がにぎわったともいわれています。
  この話が江戸城にも伝わり、鯨は濱御殿(浜離宮)に運ばれ、十一代将軍家斉の目にもとまった
  といわれてたいます。
  鯨は解体され骨は州崎弁天(利田神社)に埋められました。鯨塚の記念碑が建てられています。

  以上

  参照文献
  品川区観光資料
  東京都資料
  由緒
  品川区教育委員会
  品川区資料 等

品川神社

東海寺

 沢庵和尚の墓

   北品川本陣跡

 一心寺

   集合写真

 鯨塚
   
     
     
   (運営委員 伊藤 照男  記す)    イベント実施報告一覧へ戻る