イベント報告

JASSで行われたイベント活動を参加者・運営委員の方にリポートしていただきました。
楽しく充実したイベントの様子をご覧下さい。
2011年05月09日掲載 イベント実施報告一覧へ戻る

358 大阪城周辺の戦跡散策①

2011年04月23日(金)開催。  参加者28名。

  ガイド:塚崎昌之氏

本日の行程 
  大阪城公園⇒砲兵工廠跡碑⇒砲兵工廠荷揚げ門⇒砲兵工廠化学分析場

  ⇒砲兵工廠表門跡⇒中国製狛犬⇒山里曲輪石垣の弾痕跡⇒大阪城天守閣の石垣被害
  ⇒昼食⇒第四師団司令部庁舎⇒ピースおおさか館内見学



まず第二次世界大戦前の大阪城周辺の航空写真で説明。
生憎の雨で傘が邪魔で全員に写真が見えない


雨が止みそうにありませんが、目的地に向かって元気に散策

   

砲兵工廠跡碑前で説明を受ける参加者


8 14 日の最後の大空襲で最も多くの犠牲者を出した第3 旋工場跡地に1959(昭和34)年、元工廠従業員の親睦団体「大阪廠会」が碑を建てたが、1983(昭和58)年に大阪城ホール建設の為にここに移設された。

碑面裏には、砲兵工廠の沿革、概要が記されている

   

砲兵工廠荷揚げ門
1871(明治4)年にできた石造りの門で、平野川から重量物を荷揚げする時に使われた。

小型の船のまま陸揚げできる構造になっている。


    砲兵工廠化学分析場

1919(大正8)年、寝屋川にかかる京橋の南側に建てられた左右対称のネオ・ルネッサンス風赤レンガ2階建の重厚な建物。
新兵器の開発や研究、化学試験などがここで行われていた。
戦後すぐは大阪大学工学部校舎、その後1995(平成7年)年まで自衛隊大阪地方連絡部庁舎として使用されていた。
建築家の置塩(おじお)章氏の設計による。(ピースおおさかの資料より

   


京橋口付近にある
    北京郊外から出る白玉石製の狛犬(中国製の狛犬)
明時代(1368頃)に作られた国宝級と言われていますが、このように立派な物がここにあるのは、1940年の夏当時中国北部に進駐していた日本軍部隊から、城内にあった兵器の修理工場の大阪陸軍兵器支廠に、兵器と一緒に届けられ、添え書きには「さる高貴な方に献上するように」と書かれていたが、戦争がひどくなり、大阪城天守閣の山里曲輪の姫門跡の石垣の上に長い間置かれたままになっていた。
しかし日本軍による中国からの略奪品?を目立つ所に置くのは如何なものかと言う事でここに置かれたようです。

   

雨にけむる大阪城


内堀のこの場所が絶好のカメラポイント


陸軍第四師団司令部庁舎


ドイツの古城を模した地下1階地上3階(中央部分4階)の建物。

1940年~45年、中部軍管区司令部庁舎になった。

戦後は占領軍の施設にあてられ、立ち入りが禁止されたが、1948
年日本に返還され、博物館として使用された事もあった。
   
大阪城公園内に残る戦争の傷あとの説明版
  ピースおおさかで参加者に説明される常本氏
   

1トン爆弾


終戦直前に雨あられと落とされたバクダンです。

この大きな爆弾が落とされて大阪は焼け野原になりました。

ピースおおさかの展示室

常本氏の説明に耳を傾ける参加者
  ピースおおさかの入り口。
大林組の建築です。
建築費は何と
30億円かかったとか。
 

後記


今まで沢山のイベントを実施して、雨の日は本当に少なかったのですが、今回は雨に降られました。雨の中案内役の塚崎先生が、濡れながらも分かり易く、丁寧に説明して下さいましたし、ピースおおさかの常本氏にも、散策と館内を案内して戴きおふた方に感謝々の一日でした。

10月に又今回の続きを企画していますから、皆様のご参加お待ちしています。

     
   (運営委員 國司 保夫記す)      イベント実施報告一覧へ戻る