日時:平成23年07月28日(木)10:30~ 参加者:19名 (当日欠席1名)
場所:東京都大田区羽田界隈散策
●穴守稲荷神社と赤い鳥居
今回、イベントの参加者は江戸時代から続く羽田の名物穴子天婦羅が好きな食通の人たちが多く見受けられた。
京急穴守稲荷駅に集合して、向かった先は穴守稲荷神社。穴守稲荷神社は東京都大田区にあり、戦前までは現在の羽田空港敷地にあった。そこには料亭があり、釣り場があり、海水浴場があり、盛り場があって、また競馬場あり、の一大行楽地であった。終戦後昭和20年9月、羽田三町の住民は進駐軍の羽田撤収により強制退去を命じられた。当時の方々の恨みは想像するに余る。そんな怨念の象徴はかつて旧羽田航空ターミナル前の駐車場にあった赤い鳥居でした。移転には数々の災いが発生し、噂が立ち、都市伝説化しました。
赤い鳥は現在の弁天橋付近に移転して、平成の赤い鳥居は祟りなく平穏理に沢山の人が訪れています。一方、穴守稲荷神社は大田区の穴守に移転し、穴守稲荷神社は穴守という地名から「穴を守る」として婦人病を除けるご利益があると花柳界や遊郭の女性の強い信仰を集めに至ったのである。一行全員がお参りを済ませて次へと移動した。
●白魚稲荷神社
猟師が漁で得た白魚を奉納する慣わしになっていたことから白魚稲荷神社と称されるようになったといいます。創建年代は不明。白魚稲荷神社の鎮座する旧称羽田猟師町の成立が正保(1645~1703)にかけての間と考えられています。小さな白魚稲荷神社ですが今日まで至っています。参詣をすませて次へ移動。
●玉川弁財天
多摩川の堤防の下に鎮座する小さな社を構える「玉川弁財天」である。下見を行った時に注意をしないとうっかり見落としてしまう所である。
この弁財天は驚くことに大変有名な「日本三大弁財天」の一つであることがわかりました。宮島、江の島、に次ぐ「玉川弁財天」でした。なぜこんな辺鄙なところに祀られているのかと調べたところ。これも羽田敷地にあったものが戦後のGHQ指令により空港拡張のため強制移転が行われ、今の場所に移転をしたとのことです。
(由緒)によると弁財天は「天長7年(830)空海作」の銘刻があり弘法大師が護摩の灰を固めて御自作されたものと伝えられています。この弁財天は広島厳島神社、神奈川県の江の島弁財天と共に日本三大と言われて往古より変わらぬ信仰を今にも伝えられています。
それにしても、もっと環境のいい場所に移してやりたいものです。大きな発見でした。
●昼食「むらふじ・穴子天」
ここの大将はかつて羽田の漁師をやっていたようでした。羽田空港拡張で漁師やめて穴子・鰻を扱う料理店をはじめました。唯一穴子の天ぷらを食べさてくれる料理屋です。現在も著名人や食通の人が食べに来る店となっていて賑わっています。
われわれも御相伴にあずかり、皆さんは大変美味しい店を連れてくれたと喜んでいました。もう羽田には穴子を扱う店がないものと思った方が大勢いました。
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