2017年05月24日(水)開催。
ペリー提督の日本遠征の意図は、日本の研究者は「幕府側資料で」研究するのが一般的。
米国の公式記録には、「日本遠征記」と「上院報告書」の2種類。この他に機密文書があることは、知られていたが、所在は確認されていなかった。
1953年にこの機密文書を今回の講師、歴史家今津浩一氏が発見し、「ペリー提督の機密報告書」として出版されている。読売新聞には、「開国を巡る一級の文書を発見」と掲載された。
講演はペリー提督のなぞなぞから始まった。蒸気船は鉄張りの黒船だったか?
シーボルト持ち出しの日本地図を持っていたか?
幕府にどんな贈り物をしたか?
次に、ペリーの生誕地の話。銅像には、日本人も入っている写真を公開。
当時の世界情勢?
ペリー艦隊日本遠征に対する当時のニューヨークタイムズ紙にみる世論は?
機密文書をどのよう発見したか?
機密文書には何が書かれていたか?
横浜上陸時、船から祝砲を撃った。この祝砲の意味は?
当時の幕府は、大砲のどこを恐れたのか?
日米和親条約の日本側の文書は、江戸大火で紛失。等興味あるある話が多く、終了後質問がいくつかあった。
質問1 目的からすると必ずしも日本に寄らなくてもよいと思うが?
質問2 ペリーは日本の皇帝宛にだしている。当時の決裁権は、天皇か幕府か?
質問3 ハワイ、フィリッピン等のペリー来航当時の時代背景は?
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